おわりのはじまり

一年が終わりに近づくにつれ、無性に人に会いたくなる。テレビ番組も街中も年末モードで賑やかになっているせいだろうか。街の灯りひとつに、ひとつの幸せがあることを最も感じる時期だからだろうか。それとも、今年も独りのまま終わらせたくないからだろうか。友人たちが皆実家や旅先で年を越すなか、結局僕は今年も実家には帰らず、スーパーで安くなっていた惣菜を貪るばかりだった。

あの人は今、どこで何をしているんだろう。

人を傷つけたくないから、傷つきたくないから、ずっと一人で生きていたいと言っていた。僕も同じだった。人を本気で好きになった時の、あの地獄のような苦しみをもう二度と味わいたくなかった。そんなことなら人を本気で好きになるあの感覚自体無くしてしまえばいいと、そう誓った日から、なぜか、僕の心はずっと何かを探していた。

拍子木を打つ音と火の用心の掛け声が外から聞こえてくる。

たぶん、僕らが求めているのは、イベントを一緒に過ごしてくれる恋人や友人ではなく、もっと、自分のことを一番よく知っている自分自身みたいな、時には見えなくなるけど確実にそばにいてくれる影のような、そんな存在なんだろう。それが具体的には何なのか、未だに分からない。

透明なお皿を洗っていると、お皿に溜まった水に光が反射して宝石のようにキラキラすることがある。それが綺麗で、最近はそのお皿ばかり使って洗っている。ふと気づいた。僕らはまだ、この透明なお皿に水を入れてないのかもしれない、と。