Abandon all hope

大好きな人と会う直前に、交通事故で死ぬことがある。夢に向かって生きている途中に、病気で死ぬことがある。そんな世界で、僕たちは生きている。そんな世界でも、僕たちは生き続けている。明日死ぬ可能性は、僕にも、あなたにもある。その中で、どうしても聞いてほしいことがある。

死にたいと思ったことが何度もある。死んだ先に僕がずっと求めていた人がいるかもしれないと何度思ったことか。僕が求めている人、僕が求めている世界は、死んだ先にある。そう本気で信じていたし、今でも信じている。なのに、なんで生き続けている?死ぬのが怖いから?痛いのが嫌だから?自死の訃報を目にするたび、この世界に希望はないんだな、と思う。生きていればどうにでもなると人は言うが、そんなことはない。生きていても、どうにもならないことは沢山ある。自分が願ったことはたいてい叶わない。理想には近づけない。人間の生活のあいだに、あまりにも差がありすぎる。ここは、そういう世界。それなのに、僕も、あなたも、なぜ生きている?

例えば明日世界が終わるとしよう。そうすると不思議なことに、上記の絶望は一気に無くなる。死のうとしていた人も、どうせ明日死ぬのだからと自死をやめるかもしれない。どうにもならなかったことも関係ない。夢が叶わなかったことも関係ない。貧富や幸不幸の差なんか関係ない。どうせ明日全てが無くなるのだから。じゃあ最後の一日、何をする?好きなものを腹いっぱい食べる?犯罪をしてみる?そうこう考えているうちに世界が終わる3秒前、あなたは何を思う?

初めに言ったように、明日死ぬ可能性は誰にでもある。夢も、希望も、全てが無に帰す可能性があるこの世界で、どうか僕の願いを、聞いてほしい。

僕は大金持ちになりたいわけではない。長生きしたいわけでもない。家庭を築きたいわけでもない。親友がほしいわけでも、恋人がほしいわけでもない。同じ空を見て、綺麗だねと言い合える人、秋の風を一緒に感じてくれる人、海を見て、僕と同じ感情を抱く人、僕と同じように、過去を捨てたい人、そして、お互いの全てを許せる人。そんな人と出逢いたい。そして、この世界に存在するかもしれないその人のために、生きたい。とにかく、少なくともその人と出逢うまで僕は生き続けなければならない。もしあなたにそういう人がいるのなら、その人のために、生きてみるといい。僕は、自分のためではなく、その人のために生きたい。

だから、どうにもならなかったことも、消え去った一切の希望も、全部背負って地獄の果まで生きてやる。そして死ぬ直前に、たとえ隣に誰もいなかったとしても、それが僕の人生の答えなのだと、納得して死んでゆくだろう。つまりは、ここはそういう世界。

そんなことを考えているうちに、夏が終わり秋の気配を感じられるようになった。いつの間にか夏の草いきれを感じなくなり、夕暮れ時に涼しい風が頬を撫でる。"その人"も同じことを考えているのだろうか。

「この世界に神様はいない。それでも、もうちょっと、生きてみようかな」