真夜中の観覧車

宇宙一きれいな冬の夜空と海面の静寂が合わさった時、その観覧車は現れる。近くに行けば真上を見上げるほどの大きさで、一晩かけて一周する。真夜中にしか動かない、大きな大きな観覧車。それにあなたと二人で乗ろう。一晩かけて、一生分の話をしよう。

ゆっくりと、ゆっくりと、ゴンドラは上ってゆく。「ねえそういえばさ、あの喫茶店に行きたいって言ってたよね」「あなただって、あの映画が観たいって言ってたわよ」「じゃあ、今度映画を観終わったあとその喫茶店にでも行こうか」。これは、近い未来の話。「ねえあの時の旅行でさ、行きたい場所が違ってちょっと喧嘩になったよね」「あったなあそんなこと。あの時はごめんね」「いいのよ今さら。そんなことより、あなたは初詣で何を願っていたの?」これは、少し過去の話。「これから僕たち、どうなるんだろうね」「私たち、ずっと二人でいられるのかな」「もういっそのこと、このまま月まで連れてってくれたらいいのに」

そうして二人で、二人だけで、どこか遠くに行こう。

「そしたら嫌でもふたり一緒にいられるよ」「嫌になることなんて、きっとないわよ」「きっとない、か」

あなたが僕に言ってくれたことが全部嘘にならないように、僕があなたに言ったことも全部嘘にならないように、観覧車よ、どうか終わらないでください。円にはもともと始まりも終わりもない。僕ら二人も、別々の直線を辿ってきたわけではなく、もともと同じ円周上にいる別々の点が、ある瞬間重なって出逢ったのだと、そう信じて止まなかった。

ゆっくりと、ゆっくりと、ゴンドラは上り続ける。僕たちは沈黙の中、肩を寄せあって座っている。世界が動いている限り、今の僕たちは動いていないことになる。動かなくちゃいけない、という得体の知れない圧力がまた襲いかかる。でもこの観覧車に乗っている限り、僕たちは動かなくても許される。だから一生乗っていたかった。この微睡みの中で永遠の快楽を謳歌したかった。

ゴンドラが頂上にきて最も月に近づいた時、僕たち二人はキスをした。重力が弱くなってあなたと二人で軽くなった。世界で僕らだけが軽くなっていた。

「この観覧車を降りたあと、あなたはどうするの?」と彼女が訊いた。

「動かなくちゃ。僕もあなたも、動かなくちゃいけない。世界が動いている限り、僕らも動かないと。置いてけぼりにされてしまう」

「いいじゃない、置いてけぼりにされても。世界の時間の流れと、私たちの時間の流れは一緒じゃないんだよ。私たちだけ置いてけぼりにされて、私たちだけの世界を創りましょう」

水平線の夜が少しづつ透明になって、ゴンドラはゆっくりと地面に近づく。海面の暗闇は薄くなっていく。さざ波が朝焼けを乱反射させて宝石のように光り輝く。僕の涙が一粒、彼女の掌に落ちた。彼女の綺麗な声が聞こえた。

「あなたがこの後どうしようとあなたの自由だけれど、今晩また、ここで待ち合わせしましょう。そうしてまた、真夜中の観覧車に乗りましょう。では、また今夜」

終点に着いて僕らは観覧車を降りた。観覧車は魔法のように消えていった。冬の澄んだ朝陽を浴びながら彼女と別れた。それから僕は、海を眺めながらひたすら夜を待った。