性愛

僕は彼女のことが好きではなかった。ただ彼女の身体が好きだった。芸術のような顔と体の比率、全てを飲み込んでしまいそうな大きな瞳、この世の幸福を詰めたような髪の匂い、抱きしめると泡のように消えてなくなりそうな華奢な胴、雪のような手足。触れているだけで、僕の全身は満たされていた。それでも僕は、彼女のことはこれっぽっちも好きではなかった。夜10時の新宿歌舞伎町。僕はその身体を求め、今日も彼女に会いにいく。彼女は僕に気づくなりすぐに笑顔になった。その笑顔を見るたび、僕はどうしようもない気持ちに襲われる。ホテルの部屋までの道のりで繋いでいた手に、愛なんてなかった。途中、彼女がコンビニに寄ってお酒と一緒にスイーツを買った。もし僕が彼女のことを心から愛していたなら、こういうところも愛おしいと思ったのだろうか。

行為中、彼女は時々泣いていた。その涙の理由を僕は知っていた。自分が相手に愛されない哀しみの涙でも、自分が性処理の道具として扱われている怒りの涙でもなかった。それは二人にしか知り得ない、永遠に一体化することができないというこころの痛みの涙だった。それでもクズになり切れない僕は、また彼女の涙を拭う。そうして終わったあとのラブホテルの匂いは、早朝の新宿の匂いとともに冷たい悲しみを背負っていた。永遠にさようならと言えない僕の、昔からの弱さが胸を刺した。

 

 

私は彼のことが好きだった。寝落ち通話越しの穏やかな声、私の頭をなでるときの柔らかい笑顔、タバコを吸うかっこいい横顔、寝起きの子猫のような甘い声、私の好きなものを買っておいてくれる優しさ。でも、彼が私のことを好きじゃないことは知っていた。夜10時前の新宿歌舞伎町。それでも私は彼に少しでも喜んでもらいたいから、今日も待ち合わせ場所に少し早く着く。待ち合わせ場所で見た彼の笑顔は今日も好きだった。この顔を一生独り占めしたいと願うほどに、私の笑顔はどんどん消えてゆくのだ。ホテルの部屋までの道のりで繋いでいた手が何よりの幸せだった。と同時に、何よりも淋しかった。手をつなぐだけで疼く自分の身体に腹が立った。途中、コンビニに寄ってスイーツを買った。彼の分も、買っておいた。

行為中も彼は優しかった。挿れる時に訊く「痛くない?」と言う声が好きだった。好きすぎたから、また少し、泣いてしまった。それでもどうしようもなくするすると嵌る私たちの身体が、かえって孤独の輪郭をはっきりと映すのだった。私たちの夜がまた、哀しく乱れた。終わったあとに彼がタバコに火をつける。彼が吸っていたのをもらったけど、やっぱり私にはまだ早かった。その瞬間のラブホテルの匂いが、ずっと頭の中に残っている。

もうお願いだから、私の身体以外でしないでほしい。

届かぬ願いは、早朝の新宿に溶けて消えていった。