記憶を匂う

僕の部屋には、いつも匂いがなかった。

23時、窓とカーテンを閉め切った薄暗い部屋で味のないカフェオレを飲んでいた。蜘蛛の巣のように纏わりつく湿気を全身に感じながら、僕はただベッドで横になる。いつしか僕も、常に味を感じられる時があったのだろうか。いつしか僕も、常に心地よい匂いに囲まれて生活していたのだろうか。でも23時のこの部屋には、味もないし、匂いもない。この状態がいつまで続くんだろう、と僕は軽く思った。きっと昨日の今頃もこんな状態であっただろうし、明日の今頃もこんな状態になるだろう。軽く思ったのに、重たい涙が出てきそうな感じがした。

23時以降の時間は、どういうわけか時空が捻じ曲げられているようで、1時間が10分のように感じられる。きっと宇宙人か何かのせいに違いない、と僕は思う。そうやっていつも適当に流しながら、僕はこの奇妙な時空の中にいる。この中で僕はイヤホンを挿しスマホを手に持ち、味のしない何かを飲みながら匂いがない音楽を聴く。50分ほど経った時、なんだか少し、胸がざわつく感じがした。

僕は、どうすれば────

時刻は4時をとうに過ぎていた。外が明るくなる気配がした。ふと、窓を開けて外の空気を嗅ごうと思った。東の空が言葉にならないほど美しい茜色に染まっていた。そこには、匂いがあった。それは昨日降った雨の残り香ではなくて、涼しい風が鼻を駆け巡ったわけでもなくて、ただ僕は、過去の記憶を嗅いでいた。記憶の匂いだった。時空が、戻る感覚がした。

あっ

もう、いいんだ。この匂いが、教えてくれた。そっか、そういうことなんだね。

ねえ、

もう少しだけ、ここにいさせてください