事象の地平面

僕たちは、誰のせいにもできないことを、日々誰かのせいにしながら生きている。それは過去も現在も未来でも、僕たちが人間である限り在り続ける業なのだろう。そんな矛盾を抱えながら、僕は今日も、誰かのために生きている。

2001年、まだ僕が僕ではないときに、21世紀は始まった。この頃の技術は、世相は、人々の感情は、今とはどのように違ったのだろう。この頃の僕は、何を想ったのだろう。1月、インドで大地震が起こったらしい。3月、日本でUSJが開園したらしい。7月、2008年夏季オリンピックの開催地が北京に決まったらしい。9月、アメリカで同時多発テロが発生したらしい。そんな世界を横目に見ながら11月、しし座流星群が宙を駆け巡った、らしい。僕は、僕たちは、そんな生と死と、そんな静と動が入り混じる混沌の中で生きた、生まれた、はずだった。

2008年、僕が僕を知り始めたときに、日本で初めてのiPhoneが発売された。ああ、なんだかこれを皮切りにして世界は変わっていくんだなと、なんとなく思ったのを覚えている。何故かはわからないが、2008年という年は、僕の記憶がちゃんと記憶であるために必要な年だったのだろうと今でも思う。8月、北京オリンピックが開催された。”鳥の巣”と呼ばれたメインスタジアムとそこで開かれた開会式の様子を実家のテレビでぼんやりと眺めていた。手と頭に鈴をつけた大勢の踊り子たちが円形になり優美に踊っている姿が、あるいは夢のように歪みながら、それでも確かにはっきりと僕の記憶に刻まれていた。

2011年、僕が僕の中で彷徨っているときに、切迫したキャスターの震えた声がテレビから流れてきた。3月、東日本大震災。それは、僕たちが今までに目撃した最も酷い光景で、僕たちが経験した最も恐ろしい記憶で、僕たちが願った最も夢であってほしい正夢だった。誰もが携帯を持っていたこの時、誰もが誰とでも”繋がれる”はずだったこの時、一番繋がってほしい人に繋がらない事態が、起こってしまった。

スマホを手にし、LINEを開く。誰かが僕の返事を待っていることもあれば、僕が誰かの返事を待っていることもあるし、そのどちらでもないこともある。それでも、世界の中の誰かは常にオンライン上にいて、連絡を取ろうと思えば取れるような環境にいて、そんな世界を僕たちはあの日以来作り上げてきた。これが僕が2008年に感じた違和感なのか、世界の区切りなのか、そんなことは更々思わないけれど、少なくとも今の世界には絶対的に必要なものだった。10月、iPhoneの生みの親が逝去したというニュースを、僕はどんな気持ちで聞いていたんだろう。

2020年、僕はまだ、僕が解らない。

人間は、誰のせいにもできないことを、日々誰かのせいにしながら生きている。それはたぶん、20年前も同じだった。誰もが予想していなかったこの事態は、全世界の人々の意識をどう変え、どう覆したのだろう。それは良いことなのだろうか、それとも無くてもいいことなのだろうか。いずれにしても、どれだけ予測不能なことが僕を攫おうとしても、僕を攫えるのは予測不能な僕しかいない。ああ、僕はいつまでこの葛藤を背負えばいいんだろう。

2021年、9.11から20年後、3.11から10年後、コロナの世界から数秒後、僕が、僕たちが、願うことはきっと何も変わらない。

ひとつまみの声

ああ、これは今書いとかないといけないな、と思った。

言葉は人間と同じだから、ちょっと気を逸らしただけでどこかに去ってしまう。言葉は人間と同じだから、大切に扱う必要がある。言葉は宝物だから、どこかに仕舞う必要がある。だから、言葉を伝える空気の振動は恐ろしいほど不安定で、僕は苦手だ。この世界を形作っている11次元の振動の中で、君の声も、僕の声も、ただの3次元の震えに過ぎなかった。

それは君が電話越しで教えてくれた星空のこと。余りにも綺麗な星空を見上げたとき、どこにもいなかった僕がまだこの世界の何処かにいるような気がして、泣いた。その涙は無限に広がる星空ではなくて、有限な君の声のために消費されたのだろう。そのためなら、僕の涙は無限にあるから。

言葉は文字に起こすことができる。言葉は紙に記録することができる。でも空気の振動は保存できない。それを何度嘆いたところで、僕は何度も思い出す。君のひとつまみの声が、川の中で漂う一粒の砂金のように今にも消え入りそうな姿をしていたこと。

tone code

人がいるから音が存在するのか

人がいなくても音は存在するのか

これは物理的な話ではなく

哲学的な話でもない

ただ、僕の話

人が作った音より

自然の音のほうが好きだ

なぜなら人が作った音には

感情が存在する

それは僕の感情でもあるし

作者の感情でもある

自然の音に感情はない

だから、音そのものを享受できる

自然の音は白紙だった

でも、自然の音には匂いがない

人が作った音にはある

それぞれの音に、それぞれの匂いがある

元はその匂いが好きだった

人が作った音のほうが好きだった

その匂いを嗅ぐたび、その時の記憶を思い出せるから

キミのことも、思い出せるから

いつからだろう、キミの音に匂いがなくなったのは

キミの音が白紙になったのは

それから薫るのは、興味のない匂いばかり

匂いだけが邪魔をして、音を楽しめない

だから僕は、自然の音のほうが好きになった

正確には

自然の音のほうをよく聴いている

何よりも確かなのは

キミの音だけが、どちらでもない

キミの音は、卑怯だ

キミの音に色を付けることができたなら

キミの音にまた匂いが薫ったなら

僕はまた、人が作った音を楽しめるかな

まあ、

どちらにせよ

僕は、キミの音が嫌いだ

 

 

雨が降っている

 

 

 

猫をなでるたび、思うことがある。猫をなでることで幸せになるのは、猫なのか、人間なのか。なあ猫よ、教えてくれ。なぜ人は人を苦しめるのか。なぜ人は人を想うのか。なぜ人は独りになったときに誰も助けてくれないのか。なぜそんな世界でも幸福が存在しているのか。なぜこの世界には目も当てられないほど醜い光景と、息をのむほど美しい景色が混在しているのか。それでもなおなぜ人は、猫をなでることができるのか。そう訊くと猫は、ニャーオとか細くかわいい声で鳴き、丸まってすやすやと眠ってしまった。

縁側に座り、新緑が映え、夏草の匂いが鼻を突き、扇風機が哀しく音をたて、それでも暑すぎない暑さが心地よく、時が経ち、茜色に染まり、カラスが鳴き、カエルが鳴き、猫は眠り、ああ、また夏がやってくるんだな。ああ、また記憶を一つ重ねていくんだな。

今でも夢に見る。僕と君は途轍もなく未来的な真冬の大都市にいて、ビルたちの明かりがとうに消えてしまった真夜中、奇妙なカタチをした100階建てのビルの最上階から眺めるその大都会の景色には、エジプトのピラミッドのような形をした巨大な建造物が唯一ダイヤモンドのような輝きを放っている。その光景には人っ子一人おらず、ただ、僕と君だけ、大都会の中の二人だけの空間だった。何度も同じ夢を見る。なぜか、懐かしさを感じる夢だった。

 

 

夏の音がする。あの時の、匂いがする。

なあ猫よ、教えてくれ。猫をなでることで幸せになるのは、お前なのか、それとも俺なのか。

記憶を匂う

僕の部屋には、いつも匂いがなかった。

23時、窓とカーテンを閉め切った薄暗い部屋で味のないカフェオレを飲んでいた。蜘蛛の巣のように纏わりつく湿気を全身に感じながら、僕はただベッドで横になる。いつしか僕も、常に味を感じられる時があったのだろうか。いつしか僕も、常に心地よい匂いに囲まれて生活していたのだろうか。でも23時のこの部屋には、味もないし、匂いもない。この状態がいつまで続くんだろう、と僕は軽く思った。きっと昨日の今頃もこんな状態であっただろうし、明日の今頃もこんな状態になるだろう。軽く思ったのに、重たい涙が出てきそうな感じがした。

23時以降の時間は、どういうわけか時空が捻じ曲げられているようで、1時間が10分のように感じられる。きっと宇宙人か何かのせいに違いない、と僕は思う。そうやっていつも適当に流しながら、僕はこの奇妙な時空の中にいる。この中で僕はイヤホンを挿しスマホを手に持ち、味のしない何かを飲みながら匂いがない音楽を聴く。50分ほど経った時、なんだか少し、胸がざわつく感じがした。

僕は、どうすれば────

時刻は4時をとうに過ぎていた。外が明るくなる気配がした。ふと、窓を開けて外の空気を嗅ごうと思った。東の空が言葉にならないほど美しい茜色に染まっていた。そこには、匂いがあった。それは昨日降った雨の残り香ではなくて、涼しい風が鼻を駆け巡ったわけでもなくて、ただ僕は、過去の記憶を嗅いでいた。記憶の匂いだった。時空が、戻る感覚がした。

あっ

もう、いいんだ。この匂いが、教えてくれた。そっか、そういうことなんだね。

ねえ、

もう少しだけ、ここにいさせてください

 

本とチョコレート

歳をとるたび、消したい過去も多くなっていった。

寒い、寒い。と何度吐き捨てても、気温は上がるはずもなく、僕の醜い過去は変わるはずもなく、時間は止まるはずもなく。窓から射し込む眩い朝陽とひんやりした澄んだ空気と高く蒼い空に囲まれ、チョコレートでも食べたいな、と思う孤独な真夜中だった。僕の真夜中は、いつだって「無」であり続ける。そこに流れ入る馨しい音楽を嗅ぎながら、その音楽の粒は一つ一つ、纏まりながら僕の鼻を通って脳の中をゆらゆらと漂う。

 

聞こえてたら返事をしてくれ。寒い。冱い。

いつまでも待てるわけじゃない。もうずっと待ってきたんだ。物理的な寒さにも、君のその偽の温かさにも、もう慣れたよ。もう飽きたよ。

 

冬のチョコレートはどれも硬い。僕はその硬さが好きだった。味がないようで、口の中で溶けるほど味が出てくる、そんなチョコレートが好きだった。日が沈み辺りを「無」で包み込んだ真夜中にいる僕は、まるで味が染み出てきたチョコレートのように柔らかく、溶けていた。

 

朝陽が昇ったらその本を置いてチョコレートを食べよう、そう僕は君に提案した。

 

誰にも知られることのない話

なぜいつも、同じ時期なのか分からない。

消えてなくなってしまいたい。嫌というほど鮮烈に、強烈にそう思うことがある。理由は、ある。「はっきり」している。気持ち悪いほど確かに。

自分は必要ではないから。

ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない。これ以上説明のしようがない。自分は必要ではないから。だから僕は死にたくなる。消えたくなる。なぜ。なぜそう思うのかは分からない。はっきり言って本当に分からない。ただ僕は、人に期待されればされるほど、人に必要とされればされるほど、消えたくなる。これ以上は何も言えない。それが僕が産まれた時からの運命であるとしか、言えない。僕は、僕の死を、案外簡単に想像できるのかもしれない。

そうやって何回も何十回も何百回も何千回も、同じ過ちを犯して同じ自己嫌悪に苛まれてただでさえしょうもない一生を終えていく。ただでさえ下らない人生を殺していく。でも、生まれつきではなく、昔からのことではなく、特にこの数年、10月で自己嫌悪になり11月で自我を失い12月で死の一歩手前までいく。いつの12月で消えるのだろうと、僕は僕を達観している。気持ちの悪い感情。気持ちが悪い、本当に。けれどその感情は年々強くなっている、ような気がする。自分の死に対して、自分でも驚くほど冷静な自分がいる。

誰にも知られることの無い話。

知らなくてもいい話。

無理になった自分。世界。いつの日か。

さようなら